映画『飢餓海峡』の感想と考察 時代の荒波を生きた人たちの物語
昭和の名作の飢餓海峡を知ったのは石川さゆりの演歌からでした。
演歌の飢餓海峡は映画から構想したとのこと。
演歌の内容が壮絶だったので、映画の内容もどんなものなのだろうかと気になったので見てみました。
飢餓海峡の基本情報
原作:小説「飢餓海峡」水上勉著
出演者:三国廉太郎、高倉健、左幸子ら
1965年に公開された作品です。
その後、ドラマ化や舞台化もされました。
原作は推理小説、水上勉の作品です。
飢餓海峡のあらすじ
1.戦後間もない頃、函館にて事件が発生。遭難事故に紛れて3人の男が逃亡する。
2.そのうちの一人の男である犬飼は青森にたどり着き、一人の女こと八重に出会う。
3.事件を追う刑事から詳細を聞いた八重は出会った男に何か事情があると察し、彼に対する恋心や助けられた恩からかばうことにした
4.それから10年後、東京で働いていた八重は新聞で懐かしい顔を見つけて京都に足を運ぶが……。
という物語です。
飢餓海峡で描かれた事件や事故
飢餓海峡は昭和に起きた事件や事故を題材としています。
どんな事件や事故が昭和に起きていたのか、その詳細を知れば作品の世界にのめりこめると思います。
岩内大火
1954年(昭和29)年に北海道岩内部岩内町で起きた大規模な火災です。
長野県飯田市で起きた飯田大火、鳥取県鳥取市で起きた鳥取大火と並んで三大大火として後世に語り継がれています。
当時現地にて洞爺丸台風(台風15号)が接近しており、風向きの影響を受けて市街地の8割が消失しました。
洞爺丸事故
先ほど紹介した岩内大火と同時期に発生した事故です。
日本海難最悪の事故と呼ばれており、この事故がきっかけで青函トンネルの構想がより具現化されたと言われています。
戦後間近の日本の状況
飢餓海峡は戦後間もない日本の状況が描かれています。
そのため、感想や考察を述べるには当時の状況を知るのが最適だと思い、調べてみました。
東京に出た八重がいた場所 ドヤ街とは?
故郷の青森から東京に出た八重が行きついた先はドヤ街でした。
活気づいていますが、何やら恐ろしい雰囲気がある場所でしたね。
ドヤ街とはどんなものか調べてみました。
ドヤとは宿の逆さ言葉
ドヤとは住所不定の日雇い労働者が宿泊する簡易宿泊所のこと、日雇い労働者がたくさん住んでいる街がドヤ街と呼ばれています。
ドヤ街には簡易宿泊所の他、八重が働いていた飲食店や違法の賭博店があります。
日本では東京の山谷、横浜の寿町、大阪のあいりん地区が三大ドヤ街として有名です。
ドヤ街では飢餓海峡で描かれた通り、何度も暴動が発生しました。
売〇街 赤線・青線とは?
青森で〇婦として家族のために働いていた八重は東京でも同じ職業についてとある目的のためにお金を稼いでいました。
その八重は一旦飲食店ぽいっところに就職しましたが、実は売〇をあっせんする特殊な店だったのです。
この状況を語るに欠かせないのは赤線と青線です。
赤線:赤線地帯と呼ばれる。GHQの兵士が一般女性に対する〇犯罪の抑制のため、警察公認で売〇が行われたところ
青線:青線区域と呼ばれる。赤線地帯の周りで、非公認に売〇が行われたところ
売春防止法に至った経緯
江戸時代の日本には公〇制度があり、吉原などに遊郭が作られていました。
明治時代には廃止にする動きがあったそうですが、生活に頼る人がいたことや無理に進めると取り締まるのに支障が出る事情からそのまま続いたのです。
第二次世界大戦にはGHQから制度の廃止の話が出ましたが、実行するのは難しいため昭和22年に表向きには廃止になりました。
それから10年後、売春防止法が制定され一年間の猶予を当てられ、完全に施行されたのが1年後の昭和33年4月1日からでした。
飢餓海峡の感想・考察
飢餓海峡の舞台である戦後間近の解説をまとめましたのでここから感想と考察について記します。
お金は目的を簡単に果たせる手段
全体的に描かれていたのは貧しさに翻弄された人々です。
貧しさに苦しむ人から八重のように健気に生きる人まで。
お金はそういう状況を解決する手段、それがないからこそみんな苦しいものだと感じました。
このような状況で一番印象に残ったのは函館の元刑事である男が京都の刑事と対面する場面です。
自分が関わった事件に関係あるかもしれないと話を聞かされた元刑事は出発することにしました。
何やら事件が解決しそうになりますが、ここで起きたのは金銭面の問題。
函館から京都までは遠いので当分交通費がかかりますし、滞在費もかかるのです。
今の時代のドラマならさっさと行こうということになりますが、この時代では簡単にいかないものでした。
元刑事の男は事件を解決できなかったことの責任で警察を辞めて他のところで務めていました。
彼の二人の子供のお兄ちゃんの方は反抗期故か貧しくなった原因が父親であるときつく当たっていましたが、考えを改めて父親を送り出します。
年頃の男にとって貧しいことはつらいですし、父親の仕事の関係で暮らしが変わるのは大変ですね。
それでも家族の情と言いますか、心の奥底では大切に想っているんだなあと感じられました。
八重の心は周りを動かす
飢餓海峡のヒロインは八重。
青森で家族を支えるために〇婦として働いていました。
八重さんは家族のためとはいえ、大変な仕事をしていたのに笑顔で明るい人なんですよね。
辛い境遇でも笑顔を忘れず、子供のように朗らかです。
犬飼は自分と同じ境遇である八重が太陽のように見えたのでしょう。
だからこそ、大金で八重を救ったのです。
犬飼に救われた八重は彼が残していった爪を大切に持っていました。
普通の人なら爪なんて捨てる物なんですが、八重にとっては自分を助けてくれた恩人の形見なんです。
恩を返すために八重はずっと大切にし、東京でも辛い仕事に身を置いていたとは健気だなあと思いました。
八重の行動は貧しさが当たり前で希望なんて持ってない人から見たら、おかしなことだと思われますが彼女の明るさは現実を変えるほどの勢いがありますね。
八重の状況を心配して京都に駆け付けた東京の店の主人からは八重に対する深い想いを感じられました。
今にも通ずる悲劇
飢餓海峡は昭和の時代、戦後の混乱期が舞台の物語です。
誰もが貧しい時代であり、暴動や事件が勃発していました。
今は令和、私たちは飢餓海峡よりも先の世界、機械や便利な道具に囲まれて生活していますが、この物語は今の時代にも通ずるものがあると思います。
昭和以外でも、貧しさに苦しむ時期というのは何度もあり、バブル崩壊やリーマンショック、今はコロナによって私たちの生活や人生が大きく揺れたのです。
八重、そして犬飼たちの事情や生き様を見ていると共感するのは今の私たちにも通ずるものがあるかと。
飢餓海峡で描かれた悲劇から今後私たちがどのように乗り越えていくべきか、そのヒントが描かれていると思います。
そういうことから飢餓海峡は一生に一度は見るべきです。
改めて演歌 飢餓海峡を聞いてみる
飢餓海峡は映画のタイトルだけではなく、演歌の歌としても有名です。
初めて聞いたときはタイトルと歌詞の内容の壮絶さに驚きました。
演歌 飢餓海峡とは?
作詞:吉岡治
作曲:弦哲也
発売:1994年
石川さゆりが歌う演歌です。
飢餓海峡の映画版からインスピレーションを受けたそうです。
1994年の紅白歌合戦で披露されました。
青森の情景と八重の心情
歌詞の内容は主に八重の心情が描かれており、青森の地名も出てきます。
映画の内容を知らなかった頃は、歌詞の内容が怖いと思いました。
映画を見た後は、八重の一途な恋心や覚悟を決めた彼女の姿が目に浮かびました。
まとめ 映画『飢餓海峡』で学ぶ時代の荒波と人々の気持ち
実は私は裕福ではありません。
社会的に不安定な地位にあり、あまり健康ではないこともあり昔から不安がありました。
苦しいのは自分だけではありません。
映画には様々な生き方や考え方を持つ人が出てきます。
あなたと同じ境遇の人がいるかもしれませんし、その登場人物から元気をもらえるかもしれません。
どこかで岐路に立った時、気休めに映画でも見てください。
もしかしたらヒントがあるかもしれません。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
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